4月2日の真間山弘法寺の記事のつづきです。
手児奈霊堂から真間川沿いの桜を観てきました。
桜祭りや夜桜の記事を挟んでおります。
真間山弘法寺の境内から南に下る階段の前にある手児奈霊堂です。
謂れについてふれると、
むかしむかしの、ずっとむかし「手児奈」という美しい娘がいました。上品で、満月のようにかがやいた顔は、都の、どんなに着飾った姫よりも、清く、美しくみえました。
その美しい手児奈のうわさはつぎつぎと伝えられて、真間の台地におかれた国の役所にもひろまっていったのです。そして、里の若者だけでなく、国府の役人や、都からの旅人までやってきては、結婚をせまりました。しかし、手児奈はどんな申し出もことわりました。そのために、手児奈のことを思って病気になるものや、兄と弟がみにくいけんかを起こすものもおりました。
それをみた手児奈は、 「わたしの心は、いくらでも分けることはできます。でも、わたしの体は一つしかありません。もし、わたしがどなたかのお嫁さんになれば、ほかの人たちを不幸にしてしまうでしょう。ああ、わたしはどうしたらいいのでしょうか。」 といいながら、真間の入江まできたとき、ちょうど真っ赤な夕日が海に落ちようとしていました。
それをみて、 「どうせ長くもない一生です。わたしさえいなければ、けんかもなくなるでしょう。あの夕日のように、わたしも海へはいってしまいましょう。」 と、そのまま海へはいってしまったのです。
追いかけてきた男たちは 「ああ、わたしたちが手児奈を苦しめてしまった。もっと、手児奈の気持ちを考えてあげればよかったのに。」 と思いましたが、もう、どうしようもありません。
翌日、浜にうちあげられた手児奈のなきがらを、かわいそうに思った里人は、手厚くほうむりました。(手児奈霊堂HPより)
その手児奈を後年(737年)になって弔われたお寺が起源になっている様です。
この柱の寛永七年とは1795年です。200年以上前の代物。逸話からすると新しい方ですね。
こちらが手児奈霊堂です。
折しも春季大祭を行っておりました。
場所を変えて、真間川・真間小学校の脇です。
曇天でしたので色合いが少ないので、お背中をお借りしました。
桜のトンネル 綺麗ですね。
今年の桜の写真はこれで終わりになりそうです。
弊blogにお訪ねいただき有難う御座いました。
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