早食いエイコク堂

2014年4月〜2016年9月19日迄の記事です。以降は八五九堂Brogでリスタート。

震災から4年 (船橋&習志野で思フ)

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今朝はいつもの食ネタではありません。





東日本大震災から4年が経ちました。

あの日は仕事が忙しい年の一日で、わたしの勤める工場もフル生産をしていました。

大勢のお客様や、仕入れ会社、外注さんなども来場されていて忙しい中での一日でした。

突然の大きな揺れ!

日頃の訓練の賜ですが、全所員と来場者は即座に工場から退避したのを覚えています。

日頃の所業の悪さの所為か、この日は何故か私以上の管理職が不在でした。

何度目の揺れのあと、エントランスホールの大型液晶テレビに写し出された仙台空港の映像は恐ろしいものでした。

仕事の関係上、東北の取引会社も多く、購買部門が電話連絡を試みますが全く繋がりません。

その後、工場中の設備を停止させ、帰宅可能な者は帰宅させましたが、

来場者は帰る術がありません。交通機関は麻痺しておりましたので。

応接室や会議室を開放し、備蓄の食料で一夜を過ごしてもらいました。当然、主要な社員も残りました。



家族は、家内はたまたま家に居りました。

娘は本屋のバイトの初日で落下した本の片付けが最初の仕事になりました。

深夜に一旦20㌔の距離を歩いて帰宅し、家族の顔を見てから、会社に戻りました。

船橋市でもこんなですから、被災地の事は想像もつきませんが、後々入ってくる情報はとても辛いものでした。

私の居る工場もクリーンルームの天井が一部落ち、純水設備も故障し、修理に追われました。

計画停電を想定したシフト勤務で、体もボロボロになりましたが、被災地の比較にもなりません。



習志野市でも海寄りの地域では液状化現象が起き、断水や停電状態が続きました。

家内と娘と支援物資の寄付に行ったり、僅かですが募金もしました。



友人や会社の同僚や部下で、会社を休んで自力で東北に帰った人もいます。

関わりの有る無しに関わらず、皆の無事を祈り、仕事をする事しか出来ない日常に悶々としながら数日、数週間と過ごして今があります。



忘れることが出来ない、忘れてはいけない出来事でした。



一日でも早い、更なる復興を願っております。